2025年1月19日、フルマラソン挑戦 - 佐藤啓 公式WEBサイト

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   2025年1月19日、フルマラソン挑戦

2024年11月29日

 会社を辞めて間もなく1年。今、毎日重苦しい気持ちだ。あるチャレンジを決意したのだが、後悔が大きい。ハードルが高すぎるのだ。

 フルマラソン挑戦が決まった。

 最近、私がお世話になっているケーブルテレビ局が、愛知県刈谷市にあるキャッチネットワーク。エリアは刈谷・安城・高浜・知立・碧南・西尾の西三河6市だ。そのうちの一つ、西尾市で昨年から開催されている市民マラソン大会が「にしおマラソン」だ。その第3回大会が2025年1月19日(日)に行われる。

 この夏、大会を生中継する同局が私を適任の候補者として参加を打診してきたのだ。なぜ私なのか。「マラソン初心者でも楽しめる参加ハードルの低い大会である」ことをアピールするためだとの説明だった。

 フリーアナウンサーになった直後、愛知県内4つのケーブルテレビ局に「今後、よろしくお願いします」と挨拶回りにに行った。すでに3つの局から実際に仕事をいただき、新たな一歩の大きな柱になっているのだが、キャッチネットワークからのこの提案には戸惑いしかなかった。「マラソンの実況」ならわかるが「走ってくれ」となると・・・。

 マラソンの経験は当然ない。中京テレビに入社して2年目、宮崎県延岡市にある旭化成陸上部の取材に行き、まだ現役だった「宗茂さんと走る」という企画があった。800mほど必死について行ったが倒れ、醜態をさらした。ロケに付き合ってくれた選手の中に、その翌年バルセロナ五輪で銀メダルを獲得する森下広一選手がいた。ロケ後、森下選手から「あなた、未経験者だったのですか?自殺行為ですよ」と笑われた記憶がある。

 それ以来、長距離走なんてやったこともないし、やろうともしてこなかった。ただ、声をかけられて考えた。

 「こんな誘いは二度とないだろう」。

 スポーツマンではなく、怖がりで体当たり企画は苦手だった私。アナウンサーとして長くテレビの世界で仕事をさせてもらう中、「こんな企画やってもらうよ」から始まる一方的で受動的な経験が、自分の唯一無二の体験になってきた歴史がある。

 「バンジージャンプやれ」も、「槍ヶ岳に登れ」も、「絶叫マシーンでリポートを」も、「ゾウアザラシに跨がれ」も、「ヒクソン・グレイシーとスパーリングしろ」もそうだった。

 何の心得もない無理難題を「番組企画だから」という理由で強制的にやらされて、ヘロヘロになるものの、それが武勇伝のように昇華し、講演会や雑談のネタにするというパターン。私のアナウンサーとしての財産はこれだけかもしれない。

 ならば、今回も乗っかってみていいのでは。そう考えて「フルマラソン初挑戦」を受諾した次第である。

 ただし、自信はない。甘くないだろう。現状を鑑みれば途中リタイアは避けられない。エクスキューズを申し出た。「本番途中でギブアップしても怒らないでください」。キャッチネットワークのスタッフは「もちろんです」とのことだった。そう返すしかないだろう。

 「にしおマラソン」は西尾市内の各所を巡り、ランナーには途中、名物の抹茶や一色のウナギが振る舞われるという「いい町」アピールイベントの側面があるが、42.195km走ることに変わりはない。制限時間は6時間30分。「それならいけるかも」と一瞬思ったが、今年のパリ五輪の男子マラソンの優勝記録が2時間6分台だったことを考えると、その3分の1ほどのスピードで走り続けるには相当の走力が必要だとわかり気持ちが暗くなった。

 実際、「にしおマラソン」告知番組でコースを車で確認したら、その遠大な距離と冬には風が厳しそうな海沿いの堤防道路、急勾配の一色大橋と前半だけでも極めてハードな要素に怖気づくしかなかった。この文章は、本番まで1か月半という時期に書いている。

 最初の練習は9月8日。エントリー予定者向けの「マラソンクリニック」に参加することだった。走り方講習会だ。もちろん告知番組のロケを兼ねてのもの。直前にスポーツショップでランニングウェアを購入してもらい、試着室で着たまますぐにクリニックに行くという慌ただしさ。ただ、本気の一般参加者の雰囲気といでたちに気圧された。会場で「今回、元中京テレビの佐藤啓アナウンサーが皆さんと一緒に・・・」と司会者から高らかにマイクで紹介され益々緊張してしまった。

 元来、体が硬い私は走る前の柔軟体操ですらやっと。トラック4周1600mを皆さんと試走したがバテバテ。この時点で受諾を悔やんだがもう遅い。

 講師は当日のゲストランナーでトヨタ紡織陸上部の糟谷悟さん。西尾市出身で駒澤大学時代に箱根駅伝で「区間賞」や最終10区走者として優勝のゴールテープを切った経験を持つ。その糟谷さんに教えてもらった初心者の練習方法。それは「地面を蹴らない。踏む。空き缶を潰す感覚で」、「5分走って5分歩く。初めての人はこれを繰り返すことから始めてください」だった。

 早速、翌日それを4セットやってみた。バテた。5分走るのがキツいのだ。やるしかないので週に5・6日これを繰り返すことからスタートした。結構な苦行だ。私の住むマンションは名古屋市南東部の丘陵地にある。周囲は緩やかな坂道が多く、行きは下りで帰りは上りなるため走るのは苦しい。1.5kmほど走ったところにある広域公園の池の周囲に造られたランニングコースを利用した。毎日のように行くと、常連さんとすれ違う。愛犬家が一番多く、次がランナーだ。

 10月からは「6分走って4分歩く」に配分変更。月半ばからは45分連続で走るようにした。20日に糟谷さんに「中間チェック」してもらうロケが予定されていたからだ。糟谷さんとは刈谷市総合運動公園周辺6kmを45分で走る練習を実施。

 並走してもらいながら坂道の対処法を教わった。「にしおマラソンのコースに2カ所ある急坂は無理に走らず歩く」、「坂道での視線は坂の上に向けず斜め下に」など実戦的なものだった。1kmを8分弱のペースで走ることができた。いつも一人で練習しているが、他の人と一緒に走ると疲れを感じにくいという効用があった。「ラジオを聴きながら走るのも気が紛れますよ」というアドバイスをラジオ好きの私はすぐに取り入れてみた。

 6kmを走れたことはよかったが、まだ7分の1だと思うと先の長さにゲンナリする。残り3か月余りで「完走」まで持っていけるのか。この時点で不安しかない。糟谷さんは「行けるでしょう」と励ましてくれたが自身はまだ懐疑的だ。

 自信なし。