2025年1月20日
1月19日に愛知県西尾市で開催された「第3回にしおマラソン」、完走しました。6時間3分23秒でした。全身筋肉痛の状態でこの文章を書いています。
私は「スポーツ実況」を生業の一つにしていますが、基本的に「しゃべる」か「見る」だけでスポーツはしません。高校時代の「軟式テニス部」以外、運動の習慣はない人生を送ってきました。
今回の「にしおマラソン」、当初、生中継する愛知県刈谷市のケーブルテレビ、キャッチネットワークから「実況をお願いします」という依頼だったのです。
ところが、「高齢の初心者も気軽に参加できるハードルの低いフルマラソン」をアピールするのに私が丁度よいターゲットだと感じた局側が企画変更。「参加してみませんか?」となったのです。固辞しましたが、思い切って「やってみよう」ということになりました。
9月8日に練習を始め4か月半、きのう本番を迎えました。寒い日が続いていましたが当日は日中最高13℃という暖かさで寒さに弱い私には好条件でした。
目標は完走。ただ、練習での最長は30kmが1回だけ。20km以上は5回走りましたが「大丈夫だろうか」とずっと頭の片隅に不安を感じながらの日々でした。年末から右ひざが痛くなり年明けの練習を自重したため、練習不足のまま当日を迎えました。
午前7時半、スタート地点の西尾市役所に到着。キャッチネットワークの事前準備インタビューを受けたあと、市役所内のトイレに行くと大行列。「大」の方は絶望的な人数になっていました。「小」だった私は早く終わりました。
受付で「G70899」のゼッケンをもらい、計測チップを靴紐に装着。フルマラソン参加者は5764人。A~Gまで7つのグループに分かれ順にスタンバイするためGは最後尾。スタート地点まで数100mありました。
午前9時にスタート。これまで単独練習だったので群衆の中では早いペースの人に引っ張られ、普段1kmを8分半ほどで練習していた私が7分台で走っていました。ただ、恐れていた右ひざの痛みはほとんど感じませんでした。最初の3km、番組スタッフが小型カメラを私に向けながら並走。前から撮ったり背後に回ったり、ディレクターも厳しい仕事です。
沿道からは多くの西尾市民のみなさんが「がんばれー!」と声援を送ってくれます。地元でアナウンサーを35年やってきたので「アッ!佐藤さんだ!」と気付いてくれた人も多くいました。なるべくその都度、キャップを振って応えながら走りました。そんな経験も初めてです。応援というのはほんとうにうれしくありがたいものですね。
途中、給水所がいくつも設けられていて、水やスポーツドリンクが用意されていましたが西尾名物の抹茶のドリンクは濃くてのど越しさわやかないい味でした。ランナーがこぞって「これ美味いわ」と感激していました。
茶畑を左に見ながら、矢作川の堤防道路を走りますが、ランナーたちの列の長いこと。見通しがいいので先を行く様子が何kmも向こうまで見えるのです。農地のコースも遮るものがなくやたら先まで見渡せます。「がんばろう」と思ったり「あんな先までもう行っている人がいる」と気持ちが萎えたりの繰返しでした。
20km地点が一色さかな広場。予想を大きく上回るいいペースでした。ここは全国的に有名な一色うなぎが串で振る舞われる名物ポイント。「鰻♡抹茶大好きPRアンバサダー」を務めるタレントの松井珠理奈さんも給食ブースのテントにいて、周りの人に「中京テレビにいた佐藤アナウンサーだよ」と教えられていました。ランナースタイルの私に「あれ?ホントだ。何でいるんですか?」というリアクション。残念ながら私がフリーになったことも、キャッチネットワークの事前告知番組のこともご存知なかったようでしたね。(笑)
ここで、ケーブルテレビ9局で放送されていた7時間のマラソン生放送番組のインタビュー。丁度、1位のランナーがゴールする時間と重なり待たされることに。休憩で足を止めると再開時、足が重くなることが練習で分かっていたので、ずっと足踏みしながら待ってインタビューを受けました。
ところが、一色さかな広場を出ると、突然太ももが上がらず、ふくらはぎは電流が走ったようにところどころ痙攣し走れなくなり、一色大橋の上り坂はやむなく歩くことにしました。「ここまでかな」と棄権も頭をよぎりましたが、橋の下りで小走りを試みてなんとか中間点を通過しました。
そこから30kmまでは相当苦しみ、歩くことも増えました。他のランナーも疲れているのがわかり、同じ人と何度も抜きつ抜かれつを繰り返していました。ただ、その時点で1kmを12分で行けば6時間30分の制限時間に間に合うと計算できたので、無理を避けて完走を目指しました。
抹茶ケーキ、うなぎ、おにぎり、えびせんべい、一口シュークリーム、抹茶の「きのこの山とたけのこの里」で走りをつないできましたが、34kmの休憩所ではたこ焼き、アサリのクラムチャウダーにラーメンまで振る舞われました。さらに、西尾のソウルフードと呼ばれる「イカフライのレモン煮」も用意され、毎度のエイドが絶妙な距離で設けられているのがこの大会の大きな魅力でした。
その後、「白山隧道」というトンネルを過ぎ、38km地点からは「激坂」と呼ばれる約1kmの急な坂道がありました。「歩こう」と思いましたが、傾斜が始まるポイントから番組のカメラが再び密着。
さらにアテネ五輪の金メダリスト・野口みずきさんがいて気合を注入されたため走ることにしました。走るといっても歩くのとほぼ同じスピードで体裁を整えただけでしたが完走を確信できた地点でした。
坂は下るときの方が足にダメージがありましたが残りは3km。ヘロヘロでしたがゴールが近づくと速度が上がりました。残り100mほどのところで糟谷悟さんが出迎えて並走してくれました。
糟谷さんは西尾市出身のランナー。駒澤大学時代、箱根駅伝で区間賞を記録するなど優勝も経験した名ランナーでトヨタ紡織の陸上部でも活躍されました。最初の練習となった9月のランニングクリニックで「走るときに蹴らない。空き缶を潰すように地面を踏み、その反発を使って進む」と教えてくれました。
その後も、私の挑戦の進捗状況を見せる事前番組ロケで6km走をお付き合いいただきました。「坂道は歩いてもいい。上りでも視線は斜め下に」と実戦的なアドバイスを授かりました。その後、距離を伸ばす練習では、毎度、距離と時間、疲労具合などをメールで報告。丁寧で分かりやすい表現で書かれた数々の励ましの返信に人柄が表れていて初心者の私は随分勇気づけられました。
その糟谷さんと一緒にゴール。挑戦を決めた4か月前は300mで息が上がっていた私が42.195kmを完走できました。うれしいものですね。久しぶりに何かに挑戦して達成感というものを味わいました。
走ってみて分かったことがたくさんあります。沿道の声援、エイドポイントのありがたさ。また、コスプレランナーが多いこと。被り物はもちろん、リュックを背負ったり、着ぐるみだったり、ビシッとスーツにネクタイだったり、頭上にタケコプターがあったり…。着物姿の素浪人までいたのです。その人たちが軽やかに走り切ることに驚きました。なんでまたあんな負荷をかけてまで…、と正直思いました。でも応援する子どもには受けるんです。「ピカチュウだ!がんばれー!」なんて具合に。コスプレランナーは路上の華なのです。
医療関係者が多かったのにも驚きました。「医師」とか「看護師」と書かれたゼッケンの人が多いのです。インフルエンザが猛威を振るうさなか、不規則な勤務の方も多いだろうに、体調に異変を来している人がいないか目配りしながら走り切っている医療に従事する皆さんのど根性ランは静かな迫力がありました。
また、頻尿の私がトイレに走ったのが30km過ぎてからだったというのは奇跡的でした。各所に簡易トイレが設けられていましたが、だいたいどこも大行列。タイムロスのポイントになっていました。天気が良かったことも幸いでした。汗が尿を上回ったのでしょう。妻もずっと食事面でサポートしてくれました。結果、練習を始めてから9kg痩せました。
お声がけいただいて未体験ゾーンに首を突っ込み人生の経験を増やす。そこにアナウンサーという仕事の醍醐味があります。改めてそのことを実感しました。62歳6か月。次は何をやろうかな。
西尾市民の皆さん、一緒に走ったランナーの皆さん、各地のケーブルテレビで見てくださった皆さん、ありがとうございました。この模様は2月8日にキャッチネットワークその他で放送されます。