「愛知県体育館」惜別コラム 国際プロレス編 - 佐藤啓 公式WEBサイト

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「愛知県体育館」惜別コラム 国際プロレス編

2025年10月4日

 今回は昭和のプロレスファンには懐かしい国際プロレス。新日本プロレスと全日本プロレスより老舗の団体ながら地味だったあの国際プロレスだ。味のある名選手の多い団体だったのだが印象は薄い。これは、プロレスファンである私が名古屋在住だったことが影響している。

 団体創設当時はTBSが放送していた国際プロレスだったが、私が熱心にプロレス中継を見るようになったころ、東京12チャンネル(現テレビ東京)が放送していたからだ。当時、まだテレビ東京系の系列局・テレビ愛知は開局しておらず国際プロレスは名古屋では見られなかった。

 東京12チャンネルで国際プロレスの2時間特番が独立UHF局(当時)の三重テレビで放送されたことがあった。当時のテレビチャンネルのUHFで「33」が三重テレビ。ダイヤルを合わせると三重テレビがかすかに見えた。画面が色覚異常検査のようなまだら模様になり音はほとんど聞こえない。誰が闘っているのかわからなかったが、ボディスラムくらいは判別できた。そんな状況だった。

 愛知県体育館での興行も新日・全日に比べたらほとんどなかったように思う。愛知県体育館での国際プロレスと言えばかつて観客の暴動があった。1972年(昭和47年)11月27日、WWA世界タッグ選手権「ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキー組対ストロング小林&グレート草津組」が金網デスマッチで行われた。王者のブルクラコンビが日本人組を痛めつけ、国際プロレスが定めた金網デスマッチルールを無視して金網から脱出して無効試合になったため、消化不良の観客が激怒して暴徒と化し機動隊が出動するという騒ぎになった。興行会社としては大失態を犯した苦い過去がある。

 私が愛知県体育館で見た国際プロレスは1981年3月3日の「ルー・テーズ杯争奪戦」だった。いつも来ていた愛知県体育館とは雰囲気が違った。ガラガラだったのだ。500人もいなかったと思う。試合前、やたらとシーンと静まり返っていた。そもそも発表されていた目玉外国人のキングコング・コジャックが来日しない中で開幕したシリーズ。

 第一試合は「冬木弘道対ミスター珍」だった。劣勢の珍がすぐにコーナーに置いてあった下駄を持ち出し冬木を乱打。あっという間の反則負けで場内失笑だった。その後も盛り上がらなかった。ただ、1試合だけ少ない客が大いに沸いた試合があった。タッグマッチ「アニマル浜口&マイティ井上組対エル・コバルテ&エローデス組」だ。

 いい試合だった。4人が目にもとまらぬ動きで激しく入り乱れ、文句なしの面白さ。私がこれまで観戦した試合の中でも上位に入る楽しく、エキサイティングでレベルの高い一戦だった。その後のメインイベント、「ラッシャー木村対ルーク・グラハム」は私が初めて生観戦した金網デスマッチだった。迫力は感じたが、閑散とした場内を目立たなくするため照明を暗くした会場では余計に試合形式が陰惨に見えたものだった。

 この時、私は受験した全ての大学入試に失敗し浪人が決まった直後。気晴らしに行った初めての国際プロレス観戦で心を明るくしてくれたのがあのタッグマッチだった。特にアニマル浜口の気迫と動きのキレが素晴らしく「このレスラーは凄い」とファンになった。「来年、大学生になったらこんな試合をたくさん見たい」と思わせてくれた試合でもあった。

 この年の夏に崩壊した国際プロレス。多くの選手がその後、新日・全日に戦いの場を移した。アニマル浜口は両方の団体で存在感を発揮し、国際時代よりも有名になった。更に引退後、浜口京子の活躍で娘を全力で応援する「気合いだ!」と叫ぶ特異なキャラクターが受けてプロレスラー時代以上に全国区の存在となった。

 2006年、名古屋で女子レスリングのワールドカップが開催された時、アニマル浜口は日本選手団の応援団長という形でチームスタッフの一員になった。大会PRのため浜口京子や吉田沙保里、伊調馨、山本聖子、栄和人監督らと私が担当していた日本テレビ系「ズームイン!!SUPER」に生出演してくれた。その際、中継前に浜口に「浪人時代に愛知県体育館で見たタッグマッチに感動しました」と話しかけた。「そうですか!エル・コバルテ、エローデス、懐かしいね」とほほ笑んでくれたが、眼差しはプロレスラーのときの鋭さそのままだった。

 番組内でお約束の「気合いだ、気合いだ、気合いだぁー!」をやってもらおうとスタッフがお願いすると、「どの位置でやるんですか?どこを向けばいいんですか?」と細かく確認している姿に真面目な人柄を感じた。

 たった一回だけの観戦だった国際プロレス。愛知県体育館の見たことのない不入り。団体としては限界だったのだろう。崩壊寸前の活気の無い会場でプロレスラーの意地を見せるような全力ファイトのタッグマッチが懐かしい。