
2026年3月8日
・古舘伊知郎さん「トーキングブルース」
我々世代を中心に、男性アナウンサーはこの人のしゃべりに魅せられたり、影響を受けたりした人は多いでしょう。古舘伊知郎さんのワンマンライブ・「トーキングブルース」の名古屋公演に行ってきました。2時間11分、水も飲まずにしゃべりっぱなしの71歳。公演の少し前に品川駅で転倒し、腰を強打してピンチに陥った顛末からスタートしたライブは「インパクト難民」や「自己肯定高い人」といったフレージングから展開する状況描写と人物評で「なるほど」と「確かに」を喚起させ展開します。子育ての中で自分の考えや興味を子育て中に押し付けた反省もわかりやすく、「外国人排斥」風潮の将来をSF風に考えさせるコーナーも聞かせました。権力や社会への苛立ち、言葉を操っての畳みかけに聞き入っていました。1988年に始まった「トーキングブルース」は古館さんが「報道ステーション」キャスター時代は封印し、同番組勇退後に復活させてからは地方公演も開催し、私は今回3度目。もっと自分が若い時に東京まで行って体感しておくべきでした。
中学生の頃から古舘さんのプロレス実況を聞いていた私は、中京テレビ時代、東京で収録した特番で一度だけご一緒したことがありましたが、ご挨拶しただけでした。今回は終演後、幸運にも古館さんにお会いし会話させていただく時間を持てました。ステージとは違う穏やかな口調がまた魅力的でした。
・映画「木挽町のあだ討ち」と「レンタル・ファミリー」
「木挽町のあだ討ち」は江戸後期初頭の文化年間、江戸の芝居小屋近くで起きた仇討ちの謎解きミステリー。下男に父を殺された美濃の藩士。人を殺めることなど無縁の優男が果たした仇討ちに疑念を抱いた縁者が江戸に乗り込み真相を探るという時代劇としては珍しい本格的な推理もの。探偵役は柄本佑。
「レンタル・ファミリー」は封切り日に鑑賞。東京暮らしの売れない米国人俳優が首を突っ込んだ「レンタル家族」という仕事。家族の一員になり切って、さまざまな人生の一場面に助っ人として駆り出され、不可解に思いながらも職務遂行するうちに「理解不能」とされる日本人の考え方に惹かれていく男を描いた作品。主演はアカデミー賞俳優のブレンダン・フレイザー。雑誌記者に扮し、落ちぶれたかつての名優の自尊心を呼び覚ます役を演じるうちに気に入られ、名優の過去に入り込み心を寄せるシーンがいい。元俳優役は柄本明。
柄本ファミリーの名演技が光る2作品です。
・ソフトボール公式記録員に
2月に日本ソフトボール協会の「第2種公式記録員」になりました。去年、第3種に認定され、1月の認定会の試験で昇格。記録員は小学生の試合から日本リーグ・JDリーグに至るまで、協会管轄の試合を正確にスコアシートに記入します。スコアは一投一打を決められた記号で付けます。「犠打」なのか否か、「自責点」か否か。投手の「投球回数」や「球数」、「奪三振」などの成績や、打者走者の「打席数」や「安打数」、「打点」、「盗塁」や「残塁」などの攻撃側の成績。「ヒット」か「エラー」か、「野手選択」なのか、守備者の「暴投」か「捕逸」かを判別し、「捕殺」、「刺殺」、「失策数」などの正しい数字を記入していきます。選手交代の表記のルール通り記入し、漏れがあってはいけません。
野球取材の際にスコアブックに記入していましたが、すべて我流でした。正確にプレーの足跡を試合終了まで漏れなく書くことがいかに難しいか。講習や問題演習で思い知りました。加えて、ソフトボールには「リエントリー」や「テンポラリーランナー」、「DP」や「FP」の起用といった野球にはない独自ルールがあって複雑なため記帳も煩雑で、覚えきれません。還暦過ぎた私にはなかなかの苦行でした。まだ、記録員としての現場経験はありませんが、今年でソフトボールを実況して10年。現役記録員の方の勧めと、実況内容の充実に役立てたいという思いからチャレンジした次第です。
・「伊能忠敬―新しい地図の世界に―」展
豊田市博物館に初めて行きました。新しくキレイで立派な建物でした。3月29日㈰まで開催している「伊能忠敬―新しい地図の世界に―」。伊能忠敬が初めて本格的な日本地図を作った人、ということは日本史で習いましたがそれ以上は知らず。いい機会かと思い足を運んでみました。
江戸時代、当時の平均寿命を超えた53歳から地図作成のため測量のために日本中を歩いた伊能忠敬。足で稼ぐ現場主義を人生の最晩年に貫いて、偉業を達成した超人です。

「大日本沿海輿地全図」の複製が床面に置かれ、靴を脱ぎビニールカーペットの上に乗って見たいエリアを探せる工夫がしてあるのです。当然ながら愛知県の上に客が集まりましたが、名古屋市天白区在住の私にとって「赤池」、「平針」、「植田」、「八事」、「川名」という馴染みの地名が江戸時代には存在していたという発見がありました。
伊能忠敬は測量の旅を詳細な記録で後世に伝えており、その史料も見応えがありました。天白界隈を旅したのは1811年で、3月24日に「平針村」の「百姓伝兵衛」宅で泊まらせてもらったという記録もありました。測量時間から移動距離、更には旅の食事の献立まで詳細に書き残されていました。
伊能忠敬の聡明さと執念、そして几帳面な人柄を実感できる見応えのある催しでした。