2024年5月11日
5月6日(月)、34年ぶりに東京ドームで開催されたボクシングを観戦した。メーンイベントは井上尚弥のスーパーバンタム級4団体統一王座の防衛戦。初回に王者・井上が挑戦者・ルイス・ネリに浴びたパンチでプロ初のダウンを喫するというスリリングな立ち上がり2回以降、立て直した王者が6回にTKOで勝利するという激闘を楽しんだ。
4万3千人の大観衆の拍手と歓声。入場時に炎が上がり、長い花道を選手が決然たる表情で歩を進め場内ボルテージが上がる。井上尚弥登場の際は布袋寅泰のエレキが響き、リングアナウンサーのジミー・レノン・ジュニアが戦歴と選手名を鮮やかにコールする。特別感が「行った甲斐」をもたらしてくれた。
買った席は内野席上部22,000円。リングサイドの10分の1の入場料ではリングも小さく見える。自然とビジョンに目をやることになるが臨場感は何物にも替え難い。
局アナ時代、1994年から10年間ボクシング中継を担当し、世界戦を10試合実況する幸運に恵まれた。1997年、飯田覚士の世界王座奪取を実況できた感激は生涯忘れることはない。ボクシング観戦は仕事きっかけで一生の楽しみになった。
少年時代からプロレスファンだったがボクシングはそうでもなかった。ただ、世界戦のテレビ中継は父親が必ず見ていたので大場政夫も柴田国明も輪島功一もガッツ石松も試合は見ている。好きだったのは大型ファイターの工藤政志と二度の激闘も王座に届かなかった村田英次郎。
具志堅用高が愛知県体育館で防衛戦を行ったとき、私は名古屋の中学3年生だった。クラスメートに父親が新聞記者という友人がいて「親父が具志堅の試合を取材する」と言っていた。うらやましかったのを覚えている。いつかは生観戦したいと思ったものだ。
名古屋在住の私のボクシング初観戦は1988年のヒルベルト・ローマン対畑中清詞。父親を誘って名古屋市総合体育館まで見に行った。その次がマイク・タイソン対ジェームス・ダグラス。34年前、保険会社の営業マンだった私は5,000円の東京ドーム2階席で歴史的場面を目撃した。
世界のスポーツ界を揺るがす「タイソンKO負け」という大番狂わせを目の当たりにして興奮したものだ。その前日、同所で行われた新日本プロレスと二日連続の観戦。その試合でプロレスデビューした元横綱の北尾光司が、翌日のタイソン戦の時、トイレにいて驚いた記憶がある。1990年2月、27歳だった。
その後、転職してアナウンサー生活34年で中京テレビを退職。34年ぶりのボクシング東京ドーム興行は娘夫婦と3人での観戦だった。長い年月だったと思う。この日の4試合を加えて、世界戦観戦は何試合になったのだろう。
井上尚弥の勝利者インタビューを聞いてすぐに会場を後にする。JR水道橋駅前で早くも日刊スポーツの号外が配られていた。