2024年10月8日
10月6日(日)、懐かしい場所で楽しい時間を過ごしました。名古屋市立陽明小学校。私が小学校一年生だった1969(昭和44)年4月から12月まで9か月だけ通った母校です。
今の校長が高校の同級生。今年初め、同窓会で会ったときに講演を頼まれ「PTA家庭教育セミナー」にお邪魔することになったのです。
瑞穂区の陽明学区。敷地面積の広い邸宅が珍しくない閑静な高級住宅街です。私は春山町というところに生まれてから7年間住んでいました。父が勤めていた銀行の社宅。周囲の家は立派でしたが佐藤家が住んでいた社宅は2階建て3DKの5軒長屋。
講演の5日前、何か喋るネタを思い出すかもしれないと、久々に昔住んでいた付近を訪れてみました。社宅の跡地は「○○ヒルズ」なる高級マンションになっていました。引っ越してから55年。社宅はいつ頃なくなったのかなぁ。
社宅の前庭には鉄棒や砂場、ブランコといった遊具があり、それらを挟んで物置小屋がありました。何か悪さをすると母親に怒られて物置に閉じ込められたものです。私が泣きわめくと棟続きのお隣の高木さんのおばあちゃんがいつも救出してくれました。毎度おなじみのパターンでした。
家庭から出る紙ごみは前庭のひとところに各家庭が持ち寄り盛大に燃やします。同世代の子どもたちが燃える様子を取り巻いて見ていました。
前庭に電話ボックスがあって中に黒電話が1台ありました。かかってくると当番の家の人が走って行って電話に出て、「佐藤さ~ん、おばあちゃんから電話ですよ~!」ってな感じで家まで知らせに来るという「呼び出し」というシステム。これも今はなくなってしまった学級名簿の電話番号の欄には番号の後に(呼)とあるとその家にはまだ「固定電話はない」という証でした。各戸に電話機などなかった時代です。
夏は楽しみでした。大相撲名古屋場所が開催されている時期に必ずある日の夕方、土砂降りの夕立になり、サッと上がると梅雨明けで夏の到来。季節の分かれ目が今よりはっきりしていた気がします。浴衣の子どもたちが花火をみんなで楽しむのです。
近くにスーパーマーケットがなくて、トラックの荷台に売り物を積んだ小型トラックが決まった曜日に社宅の前に止まって買い物が始まります。オート三輪車も来ました。八百屋、肉屋、魚屋、パン屋。パン屋さんが来る日が一番楽しみでした。菓子パンを買ってもらえるからです。
通っていたミッション系の「南山幼稚園」も見に行きました。当時、幼稚園には2年通うのが普通でした。
年少組のときの学芸会で与えられたのは、イエス・キリストの誕生を喜ぶ「羊飼いのおじさん」。予防注射の日は緊張したものです。うっかり上履きのまま帰宅して涙したことも思い出しました。
陽明小学校は当時、木造校舎でした。ジャングルジムと滑り台とロープを渡した吊り橋が一緒になった立派な遊具がありました。「一年生は禁止」という残念な決まりがあり、一年生の二学期までしか移籍しなかった私は一度もその遊具を体験できなかったのです。今は跡形もありません。
体育館は昔のままです。学芸会の劇は「猫の鈴」。私の役は「ナレーター」。昔から今と変わらないことをやっていたんですね。舞台の端で直立し、覚えこんだト書き部分を大きな声で披露しました。「ネズミたちは、一体どうしたでしょうか?」というセリフがあったと記憶しています。
担任は藤井先生。手品が得意なベテラン女性教諭でした。子どもたちが授業に飽きるとマジックタイムが始まります。ハンカチが花になり、カードマジックも見事でした。一番驚いたのは新聞紙をたたんでお湯を注ぎ、お箸でうどんを取り出したとき。教室のどよめきは最高潮に達しました。未だにタネがわからない妙技です。今思い返すと、なんとサービス精神旺盛な先生だったのだろうと思いますね。以前、番組でMr.マリックさんと共演したとき、私は藤井先生を思い出しました。
人生で初めて通知表をもらったのは一学期の終業式の日。その日は7歳の誕生日でした。帰宅するとテレビでアポロ11号の月面着陸の中継をやっていました。
そうそう、1968(昭和43)年頃、我が家は視聴率調査のモニター家庭だったことがあるのです。テレビの下に箱が設置され、中では緑色の紙テープが引っ張られて表面に針が刺さって細かい穴が開けられる仕組みの装置でした。テープの位置が時間の経過で、微妙に変わる針の穴の場所がチャンネルを示していたのだろうと想像できます。毎週テープを交換に来るおばさんが持ってきてくれる紙風船が楽しみでした。テレビにはそのころから縁があったんですかねぇ。
「現場」近くに行ってみると、普段は忘れていて頭の片隅にもないことが鮮明に思い出されるもの。場所の持つ力は不思議ですね。
そんなこんなを陽明小学校の特別活動室に集まってくださった学区の皆さん30人ほどに2時間弱お話しました。
地元の昔話に「そうだった」と頷いて聞いてくださったご高齢の方や、「そんな風だったんだ!」と初めて耳にする当時の実話に笑って聴いてくださったおそらく私より歳の若い皆さん、ご清聴ありがとうありがとうございました。
今も昔も穏やかな人々が暮らす落ち着いた街並み。そんな母校に半世紀以上経って呼んでいただく喜び。気持ちのいい時間でした。
改めまして、陽明小学校創立70周年おめでとうございます。